本記事では、ぶら下がり社員についてまとめるとともに、ぶら下がり社員は悪なのか、会社が悪いんじゃないのかについて考察していきます。
■本記事で学べること
・ぶら下がり社員が生まれるメカニズム
・ぶら下がり社員の生態
・ぶら下がり社員の勝ち組パターンと悲惨な末路パターン
・よいぶら下がり社員になるために
【何がわるい】ぶら下がり社員は悪くない。会社が悪いでしょ
ぶら下がり社員について深掘りします。
ぶら下がり社員が生まれるメカニズム
なぜぶら下がり社員が生まれるのかと言えば、会社という組織が人の集合体だからです。
その中には、優秀な社員 – 非優秀な社員と一言で区別できる分類のみならず、実に多彩な人々がいます。
・納期を守れる社員 – 守れない社員
・案件を受注できる社員 – できない社員
・ケアレスミスをしない社員 – する社員
・尖りのない滑らかなコミュニケーションができる社員 – できない社員
・合理的な判断ができる社員 – できない社員
・人の気持ちに寄り添った仕事ができる社員 – できない社員
これらの能力それぞれが複雑に絡みあって、また絶妙なバランスを保って、優秀-非優秀の判断がなされます。
さらにその評価は絶対評価ばかりでなく、周りのメンバーとの比較による相対評価なので、いい感じの評価をもらえるかは正味「部署ガチャ」とも呼べる、周囲と比べてどこが秀でているかとなります。
これはつまり、全社から優秀な人材が集まった最前線の部隊などでは、どれだけがんばっても上位に食い込めないことを意味します。
例えば、どの会社においても売上を引っ張ってくる営業部隊は優秀な人間の集まる部署と言われていますが、営業部に配属された場合、その部署にいるだけで会社全体の上位30%には属しているにも関わらず、営業成績が下位だと、あたかも自分が「できない人間」扱いされているような感覚を得ます。
さらに、日系企業の場合、評価は「部署ごと、かつ部署内での相対評価」のため、「営業部のできない社員<しょうもない部署のできる社員」の評価となりやすく、「自分は営業部で日々がんばっているのに、意味があるんだかないんだか分からない部署でヌクヌクやってる同期の方が評価が高い」という、よくないシチュエーションさえ発生します。
そんなこんなで、「納得のいかない評価」を浴びせられることが、ぶら下がり社員の入り口だったりします。
すごく仕事ができる社員はどこの部署でも活躍するからいいのですが、いわゆる「中の上~中の下」の「すごくできるとも言えないし、できないとも言えない社員」がぶら下がり社員に転ぶことも、転ばないこともあるのです。
ぶら下がり社員の生態
・コスパに敏感
・仕事を振られないように雲隠れする
・
①ぶら下がり社員は、コスパに敏感です。
「時間だけかかるが、あまり意味のない仕事」は会社にまん延していますが、そういう仕事をぶら下がり社員はしたがらなくなります。
例:一時的な施策に終わりそうなポッと出アイデアの仕事、ヒアリングだけして改善されなさそうな仕事、等
一見意欲がないように見えても、生産性の向上にはなっているので、一概にダメとは言えないんですけどね。ただし、NOからの代替案の提示がないので、ただ否定しているように見えます。
(ほんとは、イケてる施策を上の人間が提言するべきなのですが、だいたい日系企業の役職者は年功序列で上がってきた「イケてないおじさんおばさん」しかいないので、意味のなさそうな短絡的な施策が下に舞い込んでくることになります)
②ぶら下がり社員は、仕事を振られないように雲隠れします。
テレワークがある程度行き届いた会社であれば、そもそも出社せず、人に見られる回数を減らしたり、あえて会議に出席しなかったり。
案件のメイン担当になんてなりません。
ぶら下がり社員は勝ち組?
ぶら下がり社員には「勝ち組パターン」と「悲惨な末路パターン」の2つがあります。
■勝ち組パターン
・ラクな部署に転籍し、ストレスフルな仕事から解放される
・考える必要がある仕事や、失敗の恐れのある仕事、積極性が求めるられる仕事から解放される
■悲惨な末路パターン
・パワハラ上司に直面し、逃げ切れない
※上司をあきらめさせることに失敗する
楽な部署に飛ばされれば、悠々自適
ぶら下がり社員の末路は悲惨?
ぶら下げり社員はメンタルが強い?
仕事に対する皮肉を言われても、飄々 (ひょうひょう) としているので、メンタルが強いとも言えます。
プライドが傷ついて、プライドのために動く社員は、ぶら下がり社員になりません。
いわゆる「受け流す能力」が高かったり「気にしない能力」と呼ばれるような、総じて「スルースキル」に長けています。
(とはいえ、少しのプライドを捨てるだけで、ストレスフルな仕事が舞い込んでこなくなるのですから、生活を考えれば
元・できる社員だったぶら下がり社員も一定数いる
冒頭でも書いてきた通り、「社内の不条理に興ざめした段階」や「仕事ができるにも関わらず、出世競争に負けることになった段階」でぶら下がり社員の予備群ができるメカニズムのため、元はできる社員が一定数います。
そのため、仕事をしないための戦略や口問答も強いです。
ただ単に「やりたくない」だと角が立つのですが、しっかりと根拠をもって「やるには時期尚早だ」とか「やる合理性がない」という理由付けがうまいので、上司も下手に切り込んでいけない構図を生み出すことができます。
よいぶら下がり社員になるために
ごくごく上位の超・優秀層はいいのですが、ふつうレベルの社員にとってはずっと戦い続けるのはツラいので、自分の実力を見極めて、ほどほどのところで、ぶら下げり社員になっていくのは、悪いことではないと思います。
極論いえば、会社に売上・利益を生み出す営業部隊のトップ層や、会社のメインサービスの設計 (料金設計や、サービスの利便性、建て付け、コストカット) を担っている人間でもなければ、みなぶら下がり社員です。
会社という人の集合体では、「ごく少数の天才がその他大多数の凡人を養ってくれている構図」は仕方のないことなので、甘んじて受け入れてしまうので楽です。
凡人のできることには限界があるので、難しいことは「意欲のある天才」に任せて、凡人はおとなしく隅っこで怒られない程度の仕事をしてればいいんです。
とはいえ、人生長いし、一日8時間×5日=40時間/週は、一週間の生活のメインを占めているので、つならなすぎる仕事をし続けるには、忍耐がいります。
そう考えると、ほどほどに意味のある、かといってストレスがかかりすぎない仕事ができる部署に飛ばしてもらう算段を考えながら、いまの仕事をそれなりの成績 (はげしく怒られはしないけど、期待には応えられてないレベル) でしていくのがいいのでは?
もちろん、バリキャリ勢としてガンガン頑張っていく生き方を否定はしません。
(そんな人は、この記事に行きあたらないですけどねw)