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「みんな違ってみんないい」という綺麗事が嫌い【本当の意味は嘘】

小学校、中学校で一度は聞いたことがあることば「みんな違ってみんないい」

こう言うと聞こえはいいですね。

個々人の個性を発揮して、ダイバーシティ (多様性) を認め合いましょう。

今の時代によく合う言葉です。

しかしながら、この「みんな違ってみんないい」はホントウでしょうか?

いささか綺麗ごとではないでしょうか?




「みんな違ってみんないい」とは【誰の言葉?】

みんな違ってみんないい」とは、金子みすゞの詩の一部分を切り取ったことばです。

「私と小鳥と鈴と」という詩の一説です。

 

私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、

飛べる小鳥は私のように、地面を速くは走れない。

 

私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。

 

鈴と、小鳥と、それから私

みんなちがってみんないい。

 

この詩は、人間である「私」と小鳥、鈴を対比する詩です。

「小鳥=空を飛べる」「鈴=きれいな音が出る」「私=空も飛べないしキレイな音も出せないが、地上を速く走れて唄をたくさん知っている」という、お互いに長所が違って、私も小鳥も鈴も「みんなちがってみんないい」という趣旨です。

この詩がもとになって「みんな違ってみんないい」ということばが生まれました。

【反論】「みんな違ってみんないい」は、嘘

たしかに、人間社会においても、色々な人がいて、みんな違います。

しかし「みんな違ってみんないい」なんて呑気なことは言ってられません。

この世は競争社会なので、能力に競い合いです。

隣より有能なら、認められ、無能なら淘汰されていきます。

とくにサラリーマンの世界では、突出した何かをもっているよりも浅く広くカバーできる人材の方が重宝されます。

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つまり、誰も持っていないような稀有な能力をもっているよりも、誰しもできるようなつまらないことが人より少し速くできるとか、より正確にできる方が価値があるのです。

「みんな違ってみんないい」の本当の意味

みんな違っていみんないい。でも、みんなができることはそれなりに。

こう読みかえると、よりいいでしょう。

ある程度のことは平均点を取りつつ、どこか特定の分野ですこーしだけ自分らしさを発揮するくらいがホントウのところです。

あまりにも外れ過ぎていると、人からは理解してもらえません。