「類は友を呼ぶ」の本当の意味を理解しないと、人生レベルで損をする。
これだけは、生きていく上で欠かすことのできない真理だと考える。
端的に結論をいえば、身の周りにはできるだけ「類 (るい)」を集めるべきだということ。自分と同じような考え方・指向性の人を集めること。同じようなレベル感の人とつるむこと。
類友は、わるいことではない。
むしろ類友を徹底することで、人生の幸福度は広がるし、嫌なコトも減る。
最近では、ダイバーシティ (Diversiry) だとか謳(うた)って、多様性だとか他者理解の重要性を説いたりする場面を目にするが、あんなものは無視でいい。
自分の身の回りには、類友 (るいとも) が多い方が幸せなのである。
本記事では、類友の本当の意味を明らかにしていくとともに、類友がいかに重要であるかと説いていきたいと思う。
■生き方の参考になる5冊
・嫌われる勇気
・西村博之 1%の努力
・スタンフォードの自分を変える教室
・夢をかなえるゾウ
・未来をつくるキャリアの授業
「類 (るい)は友 (とも)を呼ぶ」とは?
早い話が「似た者同士はくっつく」という意味である。
似た者同士は馬があって仲良くなりやすいし、自然と引かれ合うということ。
「類(るい」とは「同族」の意味。「類友 (るいとも)」なんて略されたりもする。
良い意味で使われることもあれば、悪い意味で使われることもある。
類は友を呼ぶの類語
「類は友を呼ぶ」には、さまざまな類語がある。
● 類をもって集まる
● 類は友を以て集まる
● 同声相和す
● 同類相求(どうきあいもと)む
● 牛は牛連れ、馬は馬連れ
● 目の寄る所へ玉も寄る
⇒ 目が動くにつれて、その方向へ瞳も動く
一部、意味がわかりにくいものもあるが、おおかた予想がつくものが多い。
ちなみに、英語では「Birds of a feather flock together.」だとか「Like attracts like.」なんて言われたりする。
● Birds of a feather flock together.
⇒ 同じ羽毛を持つ鳥が集まる
● Like attracts like.
⇒ 好きは好きを魅了する(好き者同士がくっつく)
また、中国語では「物以类聚」と言ったりする。
日本語の漢字と少し形が異なるが、「类」が「類」、「聚」が「衆」という意味だろう。
英語とちがって、なにかの比喩というわけではなく、シンプルに「同類は、衆を作る」といった意味になる。
「類は友を呼ぶ」の意味を理解しないと、人生レベルで損する
前置きはこの辺にして本題に入っていくが、類友を甘くみていると、相当な損をすることになる。
まじで甘くみない方がいい。
具体的には、以下である。
● 自分の話すことが理解してもらえず、ストレスがたまる【自分→相手】
● 相手の話していることの意味がわからず、イライラする【相手→自分】
※ コミュニケーションはインタラクティブ(双方向) なので、どちらにおいても齟齬や違和感が生まれる
誰もが一度どころか、日常生活の中で何度も経験していることだと思う。
価値観、レベル感が合わない人との会話では、ものすごく疲労する。
「理解してもらえない」+「理解できない」という状況は、思った以上にストレスフルで、なんとも言えないもどかしさを感じる。
さらに、こちらがどんなに頑張っても、理解してもらえないこともあれば、理解できないこともあるのである。
しかし、価値観、レベル感が合わないのだから、それは仕方がないことなのである。努力でどうにかなる部分もあるが、努力ではどうにもならない部分もある。
「類は友を呼ぶ」の本質は、引き寄せの法則である
いい意味でも、わるい意味でも「引き寄せの法則」が当てはまるのだ。
趣味や好きな人同士が意気投合する、育ちや金銭感覚が近い者同士がひんぱんに会いやすくなる、興味関心のあるポイントが多い者同士が親密になる。
・価値観
・レベル感
・バックグラウンド
・育った環境、育てられ方
・興味関心
・趣味、特技
・性格
数え上げたらキリがないが、これらは明確に私たちを形作る属性で、これらの属性が近い、つまり類友 (るいとも)であればあるだけ、お互いに惹かれ合い、居心地がいいようにできている。
似たもの同士がつっつくのは、至極当たり前のことであり、そうなるようにできている。
これらは、引き寄せられるべくして引き寄せられていて、類は友を呼ばないなんてことはほとんどない。また、自分の意志でコントロールしようとして調整できるものではない。
ウィル
「イライラするな!」と言われて「はい、わかりました!」とならないのと同じ。
そもそも、人間にプログラムされている仕様のようなものなので、ここは変えられない。だから、そこに逆らう必要もないのである。
以上をふまえて、以下の3つの場面における「類は友を呼ぶ」を見ていきたいと思う。
● 友達関係における「類は友を呼ぶ」
● 恋愛における「類は友を呼ぶ」
● 職場・仕事における「類は友を呼ぶ」
友達関係における「類は友を呼ぶ」
「類は友を呼ぶ」が、もっとも顕著にあらわれるのが友達関係。
趣味が合う者同士、金銭感覚が合う者同士、話が合う者同士がくっつく。
中でも、話が合うかどうかは友達関係においてとても大事な要素で、環境の変化によって話が合わなくなると、一気にお互いの会話がつまらなくなる。
これは仕方のないことだが、そうカンタンに割り切れるものでもない。
●昔は、あんなに仲が良かったのに…。
●いつから、話が合わなくなってしまったんだろう…。
以下のような、人生の岐路ともいえるタイミングでは、周囲の環境が大きく変化し、それに伴い価値観や人生観も大きく変わるので、見える世界が一変する。
●小学校から中学校
●中学から高校
●高校から大学
●浪人した人と現役で大学に行った人
●大学から社会人
●社会人で転職をしたとき
とくに「地元の中学から自分で選んだ高校に進学するタイミング」と「就職活動を経て、自分で決めた会社に入社するタイミング」では、いままでの友達とも疎遠になりやすいタイミングだ。
ほとんどの人が経験したことがあるだろう。
しかし、これらは仕方のないことで、自分の中での「類」が変わったのである。「類」は、新しい友達を呼ぶ。
新しい「類」ができたとき、古い類が転落するのは仕方がないことだ。
だから、ムリに旧友とも関係を継続させるのではなく、各時点において「一緒にいることが心地よい相手との関係性を大切にする」というスタンスを貫くことが、人生の満足度を高めるコツになる。
関係が疎遠になることは、少しさみしいが悪いことではない。
もし何か「類友な要素」が残されているのだとしたら、どこかのタイミングで再びまたくっつくので、それくらいに考えておけばいい。
恋愛における「類は友を呼ぶ」
恋愛においても、結局のところ類は友を呼ぶようにできている。
男と女が付き合うとき、なにかしらの共通点を見つけて、そこから関係性が深まることが多いだろう。
あるいは、同じ作業をしたり、同じ空間にいたりなどして、何かを共有することによって、距離が縮まる。
また、自分の恋愛偏差値 (顔面偏差値だったり、イケてる度) を大きく逸脱する形で恋人が見つかることもない。
ただの一般人が超絶美人で、社会的にも成功しているような女優だったり、アナウンサーと結婚することはほとんど考えられない。
石原さとみが結婚相手と選ぶのは、ゴールドマンサックスで年収5000万の超絶エリートのハイスぺリーマンだし、佐々木希が結婚したのは、お笑いの世界では大成功し番組の司会に引っ張りだこになったアンジャッシュ渡部だった。
・お金まわり (年収、貯金、将来性 (生涯年収)、金銭感覚)
・社会的地位
・顔面偏差値
・イケてる度合い (所属するグループ、会社(勤め先)、雰囲気・オーラ)
・仕事以外のスペック (掃除・洗濯・料理など家事、その他生活力)
おおむねこの辺りのステータスがパートナーとイコールになるように恋愛はできている。
男は、社会的地位よりも顔面偏差値を重視する傾向にあり、女は顔よりも社会的地位やお金まわりを重視しやすい傾向にあるので「美女 × IT起業家」みたいなカップルが誕生しやすいことは周知の事実だ。
街を歩いていて「ブサメン×美女」の一見不釣り合いのカップルを見かけても、実は男側がめちゃんこ稼いでいるというケースが考えられる。
なので、結婚相手のレベルを上げたいのであれば、出会いの数を増やすだけでなく、自身のステータスを伸ばしていかなくてはならない。
男であれば、仕事における成功 (= 社会的地位の向上)。女であれば、美の追求 (= 顔面偏差値UP)。もっと言えば、いいカラダを作るのも戦略の一つになる。
理想の結婚相手と結婚するためには、理想の自分にならなくてはいけないということである。
もう一つ、恋愛・結婚における類友で注意しなくてはならないことは、お互いの変化に対応しなくてはならないということ。
友達関係における類友でもお伝えしたように、人の価値観・人生観はなにかの拍子に変わるものだ。
しかし、自由に離れたり(疎遠になったり)、近づいたり(マメに連絡を取ったり)できる友達関係とはちがって、夫ー妻の関係だと、簡単に離れたり疎遠になることはできない。2人で二人三脚で人生を歩んでいかなくてはならない。
また、距離が近すぎるゆえ、価値観が合わないことが大きなストレスになりやすい。
とくに、妻が専業主婦、夫が会社勤めの夫婦だと、内と外とで受ける刺激がまったく異なるので、価値観にちがいができやすい。
そのため、価値観を合わせておかないと、ひずみが出る。(容易に合わせていけるものでもないが、、)
職場・仕事における「類は友を呼ぶ」
職場・仕事においては、必ずしも類は友を呼ばないから大変な思いをすることがある。
むしろ、職場は類を集めるようにしてもらいたいのだが、そうじゃないことがある。
とくに最近では「Diversity (ダイバーシティ = 多様性) 」なんてものを企業が採用活動に意識するようになったせいで、色々な価値観、色々なバックグラウンドをもった人材が採用されるようになった。
これが困ったもので、類は友を呼ぶのであるから、考え方や価値観のみぞを埋めるのはそうカンタンにできることではないということが分かる。
我々人間は、異なる考え方・価値観の人間を受け入れることがうまくできないようにできているのだ。
だから、会社内での派閥争いが起こることになる。
どこの会社でも、見るからに気が合わなそうな組み合わせがあるものだし、見るからに周囲に溶け込めなさそうな人が何人か紛れ込んでいたりする。
それもこれも「類は友を呼ぶ」という大原則を無視して「多様性」なんてものを取り入れた結果だ。
だが、そこは仕事なので、うまく折り合いをつけなくてはいけない。これが社会人の苦労というものか。
【結論】類友 (るいとも)、わるいことではない
結論なにが言いたいかと言えば、似た者同士仲良くやっていけばいいということ。
むしろ、価値観やライフスタイルが合わない人とムリをして関わりをもつ必要はないのだ。
また、変化する価値観・ライフスタイルを抑圧する必要もない。人はたえず変化していく生き物なので。
変化する価値観・ライフスタイルの中で、そのときのステップにふさわしい人間関係を構築していけばいい。
昔からの人間関係だからといって「付き合い」だけで、価値観・ライフスタイルを曲げる必要もない。
「類友だけだと、ちがう価値観は吸収できないじゃないか」という反論に対して
別にそれでいい。ムリに別の価値観を吸収する必要もないし、そんなことしている人の方が少ない。
結局みんな、自分の気持ちがいいように生きている。それは別に、わるいことではない。むしろ、自然。
その方が幸福度もたかく、嫌なことも少ない。
しいて言うなら「価値観の幅を広くする」ことだろうか。想像力が豊かになれば「類」と呼べる人が自動的に増える。
【応用編】類友を自らコントロールする方法
最後に、応用編として、類友を自らコントロールする方法についてお伝えする。
それは「背伸びをして、レベル感を合わし、類友を集める」という方法だ。
●勉強 = 学力の高い学校に入ることで、強制的に勉強しなくてはならない教育環境をつくる
●仕事 = 競争がはげしく、優秀な人材が集まる企業に入社することで、強制的にハイレベルな仕事環境を作る
●恋愛 = イケてるグループに所属することによって、強制的にスペックの高い人が集まりやすい恋愛環境をつくる
恋愛のチャプターでも述べたが、まずは理想的な自分になること。そのために、自分のいる環境を理想に近づけていくのは一つの賢い決断である。
学歴エリートの友達は、学歴エリート。ハイスぺリーマンの周りには、ハイスぺリーマン。恋愛カーストの上位は、上位同士で集まる。
「似た者同士がくっつく」という友の法則が当てはまるからこそ、逆にそれを利用することによって、道が開ける。
ただし、ここで注意しなくてはならないことは「自分のスペックを正しく測る」ということ。ここを間違えると大けがをすることになる。
スペックとは、レベル感とも言い換えることができるが、あまりにレベルが違うと、環境をセットしたとはいえ、全くついていけないので、要注意。
環境は一度構築すると、かんたんには変えられないので、そこは慎重に見極めていきたい。(学校とか会社とか、所属グループとか、容易には変えられないよね?)
■生き方の参考になる5冊
・嫌われる勇気
・西村博之 1%の努力
・スタンフォードの自分を変える教室
・夢をかなえるゾウ
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